イーアルカンフーのキックの音「パポー」あたった音「ボッ」

復活した日記と旧来の日記の詰め合わせです。旧タイトル「夢はネジコンをねじ切ること」「部屋とYシャツと私と俺とお前と大五郎」 現在毎日更新チャレンジ中。

納得できる説明

最近よく上記のような話を聞くが、「納得できる説明」とやのつく職業の使う「誠意を見せろ」の区別がまったくつかないんですが。
「納得」は自分の心で物事を理解できるものなので、あくまでも主観。そのひとが「納得」と言わなければどんな正しいことを行ってても「納得」にはならないという風潮はいかがか。
っていうか、客観的事実の前にはその人が納得しようがしまいがそれが事実になるわけで。そんなことをわざわざ納得するまで説明させる暇があるんだったらほかのことをしてたほうがよほど建設的だと思いますが。
というか、何の科学的根拠のない「納得」という要素(しかもその人だけの基準の)を満たしてやらなければ物事を進めませんよというのは、言いがかりでしかないなと。
と、「電車に突っ込まれたビルの中の一番偉い人」を見てたら思いました。電車に乗っておられた方も、突っ込まれた方も痛ましい出来事だと思いますが、あの「ビルの一番偉い人」の物の言いようだけはこういってはなんですが、最低。