イーアルカンフーのキックの音「パポー」あたった音「ボッ」

復活した日記と旧来の日記の詰め合わせです。旧タイトル「夢はネジコンをねじ切ること」「部屋とYシャツと私と俺とお前と大五郎」 現在毎日更新チャレンジ中。

アラブ

予告のアラブの話。
えーと、競馬で使ってる通称「アラブ」はアングロアラブの略でアラブ血量25%以上の馬のこと。要するに1/4以上アラブの血を引いたサラブレッドのこと。
何でこんなに語るかというと、競馬にはまったきっかけがアラブのレースだったから。
昔、中央と地方の交流レースが4レースしかなかった頃。
大井の帝王賞と中山のオールカマー、東京のジャパンカップともうひとつが札幌競馬場のブリーダーズゴールドカップ(BGC)だった。
毎年体育の日に札幌競馬場でやっていたBGCデーには各世代のサラ・アラの決定戦が組まれていて3レースからずーっと特別戦でたいそう面白かったですわ。
で、1993年のBGCデーで3歳アラブ・オープン(確か時計台特別)のレースでパドックでオーラを出し光り輝いてた馬がいまして。余りにも見栄えがよかったんで写真を取りまくり、レースでも圧勝。それがミヤコスイセイという馬だったわけです。もちろんそのレースも圧勝。
翌年、キタノカンセイというライバル馬が現れ、アラブ3冠の1つ目、岩見沢競馬場での「北海盃」では他馬を無視して2頭でずーっと競り合い、20馬身以上の大逃げ。4コーナーでキタノカンセイを競り落とし、ミヤコスイセイが圧勝。キタノカンセイはばたばたで最下位負け。
このレースを見て、あー競馬面白いなぁとか思ったわけです。
速さ比べの要素が落ちてきたF1に比べ、競馬はなんてわかりやすいんだろうと。そう思ったわけでした。

ちなみにその後、ミヤコスイセイは帝冠賞・アラブ優駿を制して道営アラブ最後の3冠馬に。ただ、そこで燃え尽きてしまい以後まったく勝てなくなってしまう。
パドックで見てもまったく昔のオーラがなく、「あ〜、もうだめだ・・・」とか俺もよく思ってました。

今は無い競馬場での今はいなくなった馬たちの今は無い重賞レースでの思い出なんですが、なにぶん映像とかなくてあのすごさが伝えられないわけで・・・。
どっかないかなぁ。1994の北海盃。