イーアルカンフーのキックの音「パポー」あたった音「ボッ」

復活した日記と旧来の日記の詰め合わせです。旧タイトル「夢はネジコンをねじ切ること」「部屋とYシャツと私と俺とお前と大五郎」 現在毎日更新チャレンジ中。

時代の終焉について

清原の引退試合があったようです。
一番最初のファミスタ(1986年発売)のデータで唯一残っていた打者。
残念といわば残念ですが、末期の清原は若いころの柔らかさがまったくなくなってみていてつらいものがあったわけで。
ボロボロになるまで現役を続けた名選手でした。前の日本シリーズでやっていた解説は不快感がなく激しくうまかった記憶があるので、ぜひ解説者として活躍していただければ。

そして。

http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20080930-OHT1T00308.htm

このニュース。

佐々木一夫師は自分が競馬を始めたとき、まだバリバリ現役でホロト系の馬によく乗っていた記憶があります。
ホロトマイケルやホロトウルフ。
佐々木師は当時からすでに伝説だったわけで。
自分が岩見沢によく行ってたころはもうあまり乗鞍はなかったですが、伝説のコトノアサブキに乗ってたんだなぁとか思って見てました。ドクタースパートとか。

一度、門別の温泉でご一緒したことがあり傷だらけの体を見て大変な職業だなとか思ったことがありました。
自分より上のコトノアサブキ伝説リアルタイム世代の人のほうがショックが大きいのではないでしょうか。
やっぱし自分の中では伝説の人だったんですよね。こんな小さい記事ですが、自分のリアルタイムで応援しがっかりし一喜一憂して来た人の記事とは思えない、なんか不思議な感覚ですわ。

新聞系の記事なので一応記録に残します
以下引用
ホッカイドウ競馬の佐々木一夫調教師(58)が、29日に死亡していたことが30日、北海道競馬事務所より発表された。28日から行方不明になっていたが、29日朝に、門別競馬場裏の放牧地で手首を切って死亡しているのが見つかった。昨年から肝硬変などで体調を崩しており、病気を苦にしての自殺とみられている。

 同師は、1969年から94年まで、騎手として道営競馬最多の1539勝、重賞75勝をマーク。96年に厩舎を開業し、通算243勝を挙げていた。入退院を繰り返していた昨年から管理頭数が減少し、今季は免許を更新したものの、管理馬は1頭もいなかった。
以上引用
ご冥福をお祈りいたします。