イーアルカンフーのキックの音「パポー」あたった音「ボッ」

復活した日記と旧来の日記の詰め合わせです。旧タイトル「夢はネジコンをねじ切ること」「部屋とYシャツと私と俺とお前と大五郎」 現在毎日更新チャレンジ中。

カルチャーについて

というわけで、今回は普通の話でして。

カルチャーとサブカルの境界線って何?
http://r25.jp/b/report/a/report_details/id/110000005968?vos=nr25mn0000001

これですよ。これ。

-以下引用-

「今は、かつてのハイカルチャーサブカルの境界がすごく曖昧で、サブカルと呼ばれるものの幅がすごく広がってる。簡単に楽しめる作品なら、“明治時代”でも“エロ画像”でも、何でもサブカルになりえるのです。ただし、かつてのオタク文化とは紙一重のところで別物。例えば両者は、ものの見方がかなり違う。アニメをベタに溺愛するのが“オタク思考”なら、“サブカル的思考”には、アニメにこだわる自分をネタとして高みから捉える、別のシニカルな視点が存在します。サブカルの対象は、作品そのものというよりもデータベースや“兆候”。それを記号的に操作し、次々と別の情報に目移りしていくフットワークの軽さもあります。こうした感覚の軽さが、1ジャンルにこだわるオタクと違うところ。ただ現在は“自分のこだわるサブカルを公言すると、重いと思われるかもしれない”という危機感があって、ネタの材料にとどめておこうと自己防衛しているフシもありますね」

-以上引用-

こんな記事が載ってますが、要はあれですか、「サブカルはオタクなんかじぇねえよ。一緒にすんな。こんな人と違うもの好きな俺ってすごい」理論ですか。
むきー。
みうらじゅんさんがサブカルの代表のように思われてますが、全然そんなことない。
アウトドア般若心経とか猛烈なクリエイタビリティがなせる技かと。
だいたいカルチャー=文化と言ってさえしまえば、なんだか上の位置に立てるなんて誰が決めたんだろう。
「文化」が「ほかのものと違ってすごいものだからなんだか大事にしなきゃならないもの」という定義はどこにもないんだけど。
このなんの論理的根拠がないまま優越感を抱いている様はなんだろう。
なんかカーボンの釣竿に1メートルくらいのハリスをつけて20号くらいのナス型オモリをつけて遠くから叩きたい。
しならせて叩きたい。

そんなことを上記文章を見て思いましたとさ。
俺はマニアックな道を突き進みますよ。それが打ち捨てられた道でも。とか思いました。

ちなみに俺のなかでは

マニア=昔ながらのオタク=自分が好きな対象物がどうして好きなのかを理論で説明できる人
「例:EF66むちゃくちゃかっこいい!なぜならいままでのEF58などの通常の電気機関車とは根本的にデザインが違う上に出力的に当時最強。しかも客貨両用。そのうえなんだか日野っぽいマークとかついて小学生の心をがっちりキャッチ」

今風の腐の方=今風のオタク=自分が好きな対象物がどうして好きなのかを理論で説明できない人
「例:アップルちゃんかわいすぎ。なにがいいってアップルちゃん自体がいい。存在自体最強。あとノーザ星人とかもいいけど。でも最強の座はアップルちゃんで譲れない」←まったく説明になっていないところがポイント

サブカルの人=自分のことをオタクの中でもすごいほうだと言い張る人。本物のオタクやマニアは自分よりももっとすごいはずの人がいるはずだと思ってるのでそういうことは言わない。
「例:痩せたことを本にしてる人や漫画家の兄 もしくはオタクだということを自慢する人」

オタクだと思い込んでるひと=猛烈にメジャーな作品のなかの微妙にマイナーなキャラが好きなのが自分だけだと思い込む人、もしくはそれに関する妄想を他人に強要する人
「例:思い当たりすぎるうえに怖くてかけません」


とおもってるので。
まあキングを名乗るには少なくともベノムストライク出せるようになってから名乗れよなとかいつも思う次第です。