イーアルカンフーのキックの音「パポー」あたった音「ボッ」

復活した日記と旧来の日記の詰め合わせです。旧タイトル「夢はネジコンをねじ切ること」「部屋とYシャツと私と俺とお前と大五郎」 現在毎日更新チャレンジ中。

江別競馬場の痕跡について

グリーンチャンネルでやってる「競馬ワンダラー」シリーズ。

少し前にやっていた新・競馬ワンダラー4が北海道編だったので我が地元の江別にかつてあったという江別競馬場の取材をやるかと思ってわくわくして放送見てたんですが華麗にスルー。

 

早くしないと何の痕跡なくなるぞということでとりあえず自分の知っている範囲での記載を。

 

wikiによると

・1885年に学校通りにおいて直線コースの祭典競馬が始まり

・1890年には江別駅東方に円形馬場が設置され

・1910年には飛鳥山(現在の飛鳥山運動公園)に移転

・1933年には駅より2kmの距離に移転

とのこと。

 

ja.wikipedia.org

 

 

自分が実際に聴いたり見たりした競馬場の痕跡は

 

1.江別第一小学校(旧江別第三小学校)の前の国道12号線→二番通りの間の通りが「競馬場通り」と呼ばれている。(アンダーパスに記載あり)

2.飛鳥山で競馬が行われていた(祖父が観戦)

3.飛鳥山に競馬開催の記念碑がある(今もある)

4.競馬開催時には江別駅から競馬場通りを通って客が結構来た(祖父談)

 

との内容。

たぶん祖父が江別(王子製紙勤務だったのであのあたりの社宅)に越してきたのは飛鳥山開催の末期あたりだと思われるので、その後の移転後の新競馬場の話は聞いたことがない。

まあ戦争関係で飛行機作りに本州に行っていたらしく家にいなかったからだとは思いますが。

 

飛鳥山に関してはいくつか資料があるし、ランニングの外周コースが競馬場のコースだという話を祖父から聞いたのでまああながちあれかなと。(コース自体はかなり狭くて小さかったとのこと)

最初の直線競馬は駅前通(おそらく神社の前)だろうし、その後の円形競馬場はさすがに120年もたつと何にも残ってないかと思われます。

 

で、飛鳥山から移転後の江別の最後の競馬場について痕跡らしきものがないか過去の地図やら航空写真とかいろいろ見てたのだが、これが怪しいかなと。

 

1935年の江別の地図

 

mapps.gsi.go.jp

 

こちらの中央やや左にかなり潰れているが「場馬競」の文字が。

 

f:id:mote:20191212070458j:plain

1935年の地図キャプチャ


条丁目の記載が潰れていますがおそらく4番通りの5丁目~7丁目の当たりかなと思われます。

ざっくりだが現とんでんファーム付近っぽいなと。

 

これが1947年の航空写真だと

 

mapps.gsi.go.jp

 

キャプチャ画像だとこれ。

 

f:id:mote:20191212072551j:plain

1947航空写真キャプチャ画像

 

うっすらと見えるような気もしないでもないが、微妙。

旧陸軍江別飛行場の付帯施設っぽいような気もしないでもないですが。

ちなみに円内の道路みたいな線はおそらく王子製紙から飛行場まで木製飛行機などを引き込んだ鉄道跡かと。

 

陸軍飛行場あとはその後ぶっ壊して遺跡調査して大量の遺跡が出土したあとに埋めて見晴台地区になっているので昔の痕跡は何もない。

4番通り5丁目、6丁目、7丁目付近は同級生なども多くいるが昭和末期の新興住宅地で競馬場の話なんぞ聞いたことがないのですわ。 

 

世が世なら「江別短距離ステークス」なんてのが開催されたり「原始林特別」や「ナナカマド賞」が江別開催だったりしたかもしれないと思うと妄想がはかどりますな。

引き続き鋭意現地調査を行っておりますが、おそらくその付近のとんでんファームでヤギと遊ぶくらいしかないかなと思っております。

 

もしかすると時間が無くてできなかった現代のgoogleMAPと組み合わせたり、そのほかの調べたりした情報なんかの記載をしてこの内容が続くかも。続かないかも。