やってまいりました。
競馬場痕跡シリーズ。
前回。
で、今回は一番初期の競馬場の情報について。
江別の競馬の時系列はこんな感じ。
1:1885(明18)年:学校通りにおいて直線コースの祭典競馬が行われ
2:1890(明23)年:江別駅東方に円形馬場を設置し人々は馬の競走を楽しんだ
3:1910(明43)年:その後、馬場を飛鳥山(現:飛鳥山運動公園)に移し
1928(昭3)年:地方競馬規則公布後
札幌産馬組合の主催による、地方競馬としての江別競馬が開催された
4:1933(昭8)年:駅より2kmの距離に移転して開催を続けたものの
戦争による軍馬資源保護法が公布されたのに伴い
1939(昭14)年:江別競馬場は廃止に至る
競馬場は上記の4箇所。
3:の飛鳥山は有名。石碑もある。
1:はおそらく神社の前の直線道路。
4:は前回の記事に記載の牧場町そばの地図記載の競馬場。
で、2:ですよ。
どうやら江別駅の東にあったというのは早苗別のあたりだそうで。
上江別地域の歴史の事歴年表 より引用
以下引用
早苗別と(野幌)丘陵地帯との間にある、この低地の泥炭地帯は江別屯田兵村の追給地であった。
僅かに現在の早苗別川橋付近から広島への進路(その頃は、この道路はなく、広島、江別には江別川をつかっていた)の間の草原が牛馬の草刈場となったり、また、競馬場ともなっていた。その形が丁度「ひょうたん形」に出来ていたので、その頃「ひょうたん競馬場」の名があったといわれている。
以上引用
とのこと。ed.jpなのでおそらく信用してもいい情報かと。
早苗別川橋というとちょうどちょうど昔ヤツメがかなり遡上してきてコンクリートに張り付いていたあたり。(わかりづらい)
早苗寿司のあった交差点辺りから、としのん(あだ名)の家あたり。
というか、浄水場の川向かいのあたりか。
ということで検索をすると一箇所ビジュアル入りで紹介していただいてるページがありました。
かなりちいさい。
こちらの別資料のページに「1周500m」との記載がありますが相当トリッキー。
どさんこや普通の和種けいなのでこれでも大丈夫だったとは思いますが、今のサラやアアで競馬やったとしたらほぼジムカーナみたいな感じになるなと。
上記の資料を基に地図に書くと
超駅近競馬場になっていたなと。
でもよくみると、
このあたりのカーブ、なんか競馬場のルートトレースしたようにも見えなくも無いんですが。そうだったとしたらかなり燃える。小学校の頃から何度もこのあたりうろちょろしてるはずなんですが、もう一度みてみますか。
以上、江別競馬場の痕跡の話でした。またやると思います。たぶん。
参考ページ