イーアルカンフーのキックの音「パポー」あたった音「ボッ」 そして部屋とYシャツと私と俺とお前と大五郎

現在毎日更新チャレンジ中。復活した日記と旧来の日記の詰め合わせです。

ナウシカの原作漫画礼賛も行き過ぎてるのでないのだろうかということについて

アニメっておもしれえなあと思ったのがナウシカきっかけだったりする人間のただのグチです。アニメージュの女性キャラ投票は常にナウシカ1位でお願いします。ナウシカ原理主義

 

いや、この記事なんですけどね。

 

www.huffingtonpost.jp

別に「原作」の漫画が面白くないわけでは無いし、むしろすげーとは思うのですが。

 

でもなんで

 

以下引用

 

1984年公開の映画版は、関与したスタッフが「スタジオジブリ」の原型となったことを考えれば、日本のみならず世界のアニメにとってエポックメイキングな作品だ。ただ、壮大なテーマを描き切れず、やや中途半端な出来に終わっており、私はテレビ放送されていてもチャンネルを合わせる気にはならない。

 

(中略)

 

尻切れトンボな映画版に満足していない愛読者としては、こんな夢想をしてしまう。 もし『Netflix』あたりが巨額の予算をつけて、宮崎駿自身の指揮のもと、完全版『風の谷のナウシカ』がアニメ化されたら、どれほどの傑作が生まれるだろうか――。

それはかなわぬ夢だから、黙ってこの傑作を繰り返し読むに如くはない。

 

以上引用

 

原作は確かに面白い。クシャナとクロトワと土鬼皇帝ナムリス最高だ。ナムリスの死に様など宮崎さん以外にはあんなに滑稽で悲しくは描けないだろう。最高すぎる。

しかしだ。

なぜに比較として映画をこき下ろすのかまったく理解できない。

漫画と同じ人がつくったんやで。

しかも徳間書店が「原作付しかアニメ映画を作らない」というレギュレーションを通すためにナウシカの漫画書き始めたのは有名な話だし。映画版ではなく映画を作るために漫画版が出来たという。

この文章書いた人の年齢的に知ってる話だと思うんだけどなぁ。

なんで原作のことを映画版は描ききれてないとか考えちゃったんだろう。普通の作付きの作品とは派生の仕方も違えばストーリーなんかまるで違うのに。

映画の1984年公開、連載終わったの1992年なんだから尻切れトンボとかいわれてもとか思いますが。影も形も(ちょっとした影くらいはあったのかもしれないけど)できてもいないものを描けと。むちゃくちゃやがな。

 

チャンネルあわさないんだからどうでもいいのではとか思いますけど、ただ作者の人がOPの腐海の雰囲気やライフルの火薬での爆破シーン、庵野さん渾身の巨神兵崩壊のシーンや王蟲の動きを見れないまま死ぬのはいかがかと思いますが。チャンネルをあわせる気にならないと本人が望んだことだから仕方ない。

 

映画は映画で別時空の話。漫画は漫画でその前後で宮崎さんが好きに書いた映画とは関係ない話。ってことなのに何でこのひとは一緒にしちゃったんだろう。

 

なんすかね、面白いものを推すために他のものをこき下ろさなきゃならない病は。

自分はそうならないように努力してますが、うっかり発病してしまうこともあるとは思います。

気をつけます。(といいつつ映画を推すためにこの作者に激しい突っ込みいれてますが)

しかし同じ人が作った同じ作品にまでその矛先を向ける新しいパターンを見たという感じがしました。