イーアルカンフーのキックの音「パポー」あたった音「ボッ」

復活した日記と旧来の日記の詰め合わせです。旧タイトル「夢はネジコンをねじ切ること」「部屋とYシャツと私と俺とお前と大五郎」 現在毎日更新チャレンジ中。

ラーメン屋に感謝されがちなことについて

最近はラーメン屋と言っても勤務時間の関係で山岡家くらいしか行けていないのが非常に残念なんですが。

以前はあちこち食べ歩いてたんですが、限定だのなんだのというよりか定番を探すたび見たいのをしてまして。

色々言った挙げ句地元に近い野幌の松喜の味噌が好みかなーという結論に達しました。

(醤油だと江別の昇竜のスープ(麺はいまのストレートよりかは前の縮れがいい)、塩だと七重浜の大正庵か湯の川のブルートレイン

 

で、食いに行けないもんだから仕方なく家でラーメンでも作ろう、でもインスタントは寂しいのでと思ってスーパーで生麺とスープを買ってきたんですが、その時のスープがこれでして。

 

 

急にパッケージで感謝されてしまうという。

食ってもいないのに感謝。

 

なんか新し系の「黒Tシャツ腕組系」のラーメン屋に行くこともなくはないんですが、当時だとどんぶりの底に「感謝」って書かれがちだったんすよ。

なんだか知らんですけど。

こっちは金は払ってるとはいえラーメンを食わせてもらってるのに、そこまで感謝されんでもとかおもいますし。

 

コンビニとかホカ弁で弁当買って食ってたらご飯食った容器のところに急に「感謝」とか書いてあったらびっくりするじゃないすか。

あとスニーカーとか買って靴の中敷き外したら急に「感謝」とか書かれても動揺するじゃないすか。

 

なんでどんぶりの底にだけ「感謝」が許されるんだろうとか。

感謝されるのはもちろん悪い気持ちではないんですが、明確に文字にされるとなんかどう言っていいのかわからん感情になります。

 

信号の赤信号のところに毎回「赤信号!」って書いてあったら動揺するなみたいな気持ちです。

分かりづらいけど。