イーアルカンフーのキックの音「パポー」あたった音「ボッ」

復活した日記と旧来の日記の詰め合わせです。旧タイトル「夢はネジコンをねじ切ること」「部屋とYシャツと私と俺とお前と大五郎」 現在毎日更新チャレンジ中。

マキシマリストの時代について

共感しか覚えないポスト(旧ツイート)を見かけまして。

 

 

すばらしい。

ものがある=文明社会。

床に落ちているコンセントを踏んでみれば文明開化の痛みがする。

 

なんていうんですかね。手元にモノがある安心感といいますか。

「みんなが使っているからiPhone使う」とか「友達が乗っているのでなんとなく同じ車買う」とは別の文化圏で生きている俺にとっては、一度逃すと二度と手に入らないものが世の中にあふれていると思っているので。

 

そうなると増えるんですよ、モノが。

依然やってた「ときめかないものは捨てる的」な番組に出ている方の話を聞いて思ったんですが、ときめかないものは最初から買ってねーよとしか思えないわけで。

まさに今俺の家の棚なり床なりにあふれている逸品たちは俺のときめいた歴史、まさにときめきメモリアルなわけですよ(どや顔)

 

まあ捨てたいは捨てたいんですけどね。

家にスマホが10台くらいあっても正直使わねーし。

ただ捨てることに関するメリットが部屋が広くなるくらいしかないんすよね。

持っていれば使いたいときにすぐ使えるとかなんかうれしいとか精神的に安らぐとかいろいろあるんですが。

費用対効果的にはどっちがいいのか。わからないけど

 

あと中古屋とかメルカリに売るのってすげーめんどくさいんすよ。なんか。

どうせ二束三文だし。

 

引っ越しでもしたときに強制的に捨てることにはなるとは思うんですが、それまでは大事に温めておきます。